今回はニヤマの四つめスワディアーヤについてです。

ニヤマ スワディアーヤとは?

スワディアーヤとは「読誦」と訳されます。身体、心、知性、自分自身を含めた勉強や学習のことを言います。「自己の知恵を導く研究」という意味もあります。

スワディアーヤの実践とは?!

スワディアーヤは新たな自分を発見するための学習の勧めになります。実践では常に自分自身を振り返ります。ヨガに関しては教典や聖典であるヨガ・スートラやヴェーダ聖典(ヨガの儀式の手順や形式、祈りの言葉などが書かれたもの)、ウパニシャッド(古典、ウパニシャッドの文献の中には「5つの知覚器官 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚と1つの思考器官を固く執事することをヨガという と書かれています。の研究など自分にとってやりやすい勉強方法で良いので学び続けることです。日々の生活に関する知識や仕事に関するものでも常に学びを姿勢を取り続けることが実践することになります。

ヨガの学習とスワディアーヤ

ヨガのレッスンは大半がマットの上での訓練や修練になりますが肉体的な学習と同時に「勇気」「責任」「放棄」「自信」も学ぶことができます。ヨガを実践すると人間の弱さや強さが浮き彫りになります。

スワディアーヤの目的とは?

スワディアーヤの目的とは日々、自分を磨いて成長させることです。

スワディヤーヤ

スワとは自己、スワディアーヤとは、学習あるいは教育を意味する語である。
教育とは、その人の中にある最上のものを引き出すことであるから、スワディアーヤと自己の教育ということでもあるのだ。

スワディアーヤは、講師が無知な聴衆の前で自分の知識を並べたてている、たんなる説教や講義を聞くような学習を意味していない。
スワディヤーヤを修得していれば、講師と学ぶ者の心は一体となることができ、お互いに愛し合い、尊敬し合うのである。
こうなれば、説教はたんなる説教ではなくて、心と心が通じ合う働きになるのである。
スワディアーヤを通じて体得した尊い思想は、血管と神経に入り、その人自身の生活とその生命の一部となるのである。
スワディアーヤを実行するものは、人生という、自己自身の本を読み、同時に書き、改訂していくから、生活様式にも明らかな進化が自然に表れてくる。
そうしてすべての存在は、楽しみのためというよりも、信仰のために存在するのであるという心になり、すべての存在が神であり、自己の中にも神が存在して、自分を動かしているという心になりうるのである。

ブーダン運動のリーダーであるシュリ・ビィノバー・バーベによると、スワディアーヤとは、他のすべての学習や行動の根本となる基礎(それ自体は他のことを礎とすることができない)を学ぶことであるとされている。
健康で、幸福な、そうして平和な人生をつくるために、汚れのない所で神の教えの書を読むことは求道者にとって不可欠のことである。
われわれは世界中の聖なる書物を学ぶことによって、困難に直面したとき、それを解くことのできる能力者になることができるのであり、これが無知の終わりであって、真の知識の始まりである。
無知には、始まりはないが終わりはあり、知識は始まりはあるが終りはないということができる。
このようにして自己の魂の本質を知ることができ、ついには神とも結合することができるのである。

参考:ハタヨガの真髄より